中学生の始めての夏は、悪夢に終わった。姉の意地悪に、悩まされた夏だった。
少し気持ちも落ち着き始めた頃、父は休みになるといそいそとし、姉と私を連れて
行き先も言わずに出かける日曜日が増え出す。引っ越す家を見に行くのだ。その理由を言わない。
それより転校することの方が、私にとっては大きな出来事だった。
どんな所でどんな学校に行くのか、今の中学校は、東大阪で新設校としてモデル校とされていたので、
制服なども、洒落ていた。とても気に入っていた。校舎も新しい鉄筋だ。
英語の先生もアメリカから帰って来られたので、発音が綺麗だった。だからこの頃は英語が好きだった。
今まで乗った事のない電車に乗り、着いた駅で降り立ったとたん、いきなり磯の匂いがした。
駅の周辺の店なども始めて見る風景。
もう夏も終っているのに店の軒下には浮き輪などをぶら下げていたりする。道の先の方に微かに海が見えていた。
<えっ、海!凄い!凄い!こんな所で住むの?毎日、海が、見れるの?凄すぎるわ!>と、
いろんなことがぐるぐると頭を巡らした。
いつの間にか知らないおじさんが居た。案内された家は、まだ、新しい上品なたたずまいだった。
子どもはどう過ごせば良いのか分からないぐらいの、竹の手入れが行き届いた庭があった。
花は一輪も咲いていない。竹と、こんもりとした苔の庭だった。白い石がその下に敷き詰められていた。
<な~~んや、面白くない家やな・おじいちゃんの庭の方が良いわ。海が近くても味気ない家や!>
この頃の私の感性からは、人を感じない家だったのだ。
その後少し海の方に歩いて行った。途中、きっちりと囲いがしている大きな芝生の家が、並んでいた。
そんな家が何件もあった。りっぱな大きな芝生の庭の家だ。庭で親子で遊んでいたのは外人ばかりだった。
後に、聞いたので分かったのは、米軍の別荘だったそうだ。近くに基地があったのだと思う。
何故かこれも腹立たしい事だと感じた。不公平を感じたのだった。
今では面影は全くなくなっている浜寺公園駅だったのだ。
やがて、その沿線で家を見つけて引っ越した。浜寺での家とは違い人の気配がある家だった。
また、姉と父、そして今までと違うお手伝いさん、(今回は普通のおばさん)だった。
しかし、その普通のおばさんがしばらくするとやたら父に、ちょっとクニャクニャしだすのを、
観察力の鋭い私は見のがさなかった。父も少し困っていたようだった。しばらくしてその人は、辞めた。
新しい若い長い三つ網をした女の子が来た。何でも石川県から来たらしい。名前はすみちゃん。
すみちゃんは、お風呂屋さんで働いていたが、しんどかったらしい。石川県の人は大阪ではお風呂屋さんで、
働くらしい。その後お風呂屋を経営するようになる人が多いと聞いていた。
すみちゃんの髪の毛はかなり長く、みつあみも、腰のところまであった。不思議なすみちゃんだった。
お風呂屋に居たのに、何故かその長い髪の毛を洗わないのだ。姉に言われて仕方なく洗うと言う風だった。
新しい中学校では、とても下手な発音の英語の先生に当たり、がっかりして、英語は嫌いになる。
制服は前の学校のがお洒落だったので、いろんな理由をつけて頑固に、新しいのを着なかった。
そうして、平穏ではあるが、変な不安が、私を襲って来ていた家だった。