倉本 聰 作・演出・「明日 悲別で」

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明日、悲別で(2013) -ashita, kanashibetsu de 2013-

一体この国に神様はいるのかよ!
いるなら余っ程どうかしてるぜ!
何万人のふるさとをうばって、―― 結局誰一人救うこともできずに、
それでも本当に神様はいるのか!
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二十年前に閉山した炭坑の町、悲別。(かなしべつ)
散り散りになった若者たちは、2011年大晦日、閉山の日の約束を守って
今や破綻寸前のこのふるさと に集ってくる。
彼らの交した約束とは、大昔この炭坑の第一坑道の地下三百メートルの
地底に先人達が埋めたという「希望」を封印したタイムカプセルを、
みんなで探しに潜ろうということ。
だが二十年の歳月は、若者たちを変えてしまっている。
福島の原発労働者となって津波と爆発に遭遇した者、懸命にふるさとに
しがみつき空しい町おこしに励む者、
そしてこの町の町会議員になり、原発汚染の福島の瓦礫を引き受け、
廃坑の地下一千メートルに石棺に入れて閉じ込めようと策す者。
三百メートルの地下に希望があり、千メートルの地下に今絶望を埋めようとしている悲別。
約束を守った二人の若者が、空しくしか思えない希望を求めてかつての
なつかしい第一坑道へ二人っきりで入って行った。
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以下は・・・被災地3県の公演前・倉本さんの言葉など・・・

被災者の辛さや無念さはとても奥深いもの。人というのは怨念だけでは生きていけない、

いくら前向きに生きよ、と言っても自分の気持ちを動かすものがない限り、無理。

その様々な思いを自分なりの表現で伝え、感じてもらえることがあったら…」
本来、私たちが体の中に持っている人間そのもののエネルギー。

それこそが、唯一の「希望」であると倉本氏は言います。

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23日、急遽、富田林の劇場に、内容を余り知らないままで観に行く。

倉本さん演出の舞台は始めて、内容は、何かで少しは知っていたのだが。

閉山した炭鉱、福島原発、挿入されていた音楽「アメージィング・グレイス」

それらが、じわじわと心に染み入って来る。

言葉で、何かを言う事も、席から立つこともし、ばらくは出来ないでいた。

「希望」この中で響いた言葉は余りにも深かった。

舞台に関わった全ての人に大きな感謝と、観る事が出来た喜びは

忘れることのない舞台だった。本当に心からありがとう!。

どこかでまた、観る機会あれば絶対に出かけて行く。

倉本 聰さん!ありがとう!

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