今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

幼きころ・・・4・・・父のあだ名は豆腐や

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あの身勝手な父のあだ名が、親戚の叔父や叔母の間で、「豆腐や」と言われていた。

「豆腐屋ってなんでや?」と、疑問に思っていたが、私は、親戚の人たちが好きではないので

聞く勇気もなかった。 ある時、叔母と祖母が「あの おおぶろしきが」と父の事を、話している。

聞き耳を立てていたら、「すぐに 大きな話してからに!1兆 2兆って!言うてからに!

せやから豆腐屋ツて言うねん」と。 あ~そう言うことか 「1兆は1丁かそれで豆腐屋か」と、

凄く関心してしまった。別に父はそれで人を騙したのでなく、単純に、ええ格好しいやったんや。

何時だって変なプライドを持っていたから、事業に失敗しても、這い上がり小さくても良いから

また、会社を設立して「社長」と呼ばれたかったのだ。 父が亡くなるまで、余り会わない状態が、

あったのだが最後の居場所の、老人ホームでのあだ名が『社長』だったと聞き、笑ってしまった。

また、そのホームでは「過去三大名物爺さん」だったとか。「明日東京で取引の会議があるんで」と言い、

目を離したら本当に駅の方にお洒落をして行ってたりとか、 毎日薄くなった眉毛を描いてたとか、

首の皺を隠すのにスカーフを巻いてたとか、自分の棚があり、コーヒーを入れるのが好きで、

老人たちがもめると、「さあー コーヒーでも入れまひょか」と言い、甲斐甲斐しく入れて、

ムードメーカー的存在を引き受けていた様である。

それはお金のない時に、私の貯金箱を割り映画を観る父と、私の中で繋がっている。

どこか憎めない子供のような薄笑いを浮かべていたように思う。

今思うと祖母の家に一家で転がり込んだ時、祖母は確か77歳くらいだったと計算する。

そんな年齢で、に母親とはそりが合わず、子供がいて、金がなく、当然祖母は困惑し、

キツイ顔しか出きなっかたのだろう。おまけに母は出て行くし、子供の私とかをどうやったら良いか

分からなかったと思う。その頃はキツイので嫌いだったが、きっと、身体もしんどかっただろうに。

頼りになる父の事は、母として可愛かったのだろうと、今なら、充分に祖母の事が分かる。

でも、あだ名が<豆腐や>の、のん気な父は、死ぬまで分からずだったろうね。

父の旅行

 

景気の良かった頃。後ろの2番目の偉そうな父。

社員旅行のようだ。昔の伊勢!夫婦岩かな?


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