わしも死の海におった・

  「第五福竜丸」のことは知っていても、この、ドキュメンタリーのことは知らなかった。

福竜丸以外にこんなにも漁師が被爆し、平均50歳から60歳代で、主に癌で亡くなっている。

そして、その頃の日本、漁師も家族も訴えようとはしなかった。口が開けない現実がここにあった。

高校教師をしていた山下正寿さんは高校生と一緒に、ビキニの被災船員がいることを知って

調べていくのだが、なかなか口を開いて貰えないのもあった。

その後も根気よく調査していくと全国で20000人、高知だけでも2000人は被爆しているだろうと。

地道な活動をする山下さんに、「こんなにしていても進まないですね。大変だと思うのですが」と聞く。

山下さんが「かにの赤い子というのをしっていますか?これは小さな穴をあけてコンクリート破り、

決壊させるのです。こいつが来たら気をつけよと言われて来ています。赤い子ですよ。

下のもんが皆で集まり小さな穴をあけているのですよ。」 と、65歳になった山下さんは笑っていた。

いろんなことが分かりだし、詳しい人たちに調査を頼む所まで来る。が、皮肉にも長崎大学の山下俊一教授なんだ。

その頃まさか こんな事になるなんて誰も知りえなかったことだ。それだけ研究し名も知られていた人物だったのだ。

購入し、 観る価値があった。

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DVD 購入 可能

わしも死の海におった~証言・被災漁船50年目の真実~」

85年から高知の被曝漁船の調査を続ける山下正寿氏を追ったドキュメント。

愛媛・南海放送の若いディレクターが製作。米公文書の最新資料で再編集2010年DVD化。

¥1000。購入こちら→http://t.co/casGytM

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南海放送制作「わしも死の海におった」

  1954年3月1日、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で「死の灰」に襲われた「第五福竜丸」乗組員23人が被災。

6カ月後に久保山愛吉無線長の死と大量のマグロ廃棄が、国民にショックを与え、原水爆禁止運動が広がる契機となりました。

 しかし、広島、長崎に続く「第三の被ばく=ビキニ事件」はいまだ全容が解明されていないのです。

一連のビキニ核実験当時、1000隻を超えるともいわれる漁船等が付近海域におり、多数の船乗りたちが「死の灰」をかぶったのに、

日米両政府は翌年、アメリカが日本に慰謝料=200万ドルを払うことで政治決着となり、被害の実相をうやむやにされてしまったのです。

被災者は第五福竜丸だけではないと4半世紀も真相を追い続けている人たちがいます。

1985年、教え子の高校生らが自分たちの町にもビキニの被災船員がいることを知ったことから

山下正寿さんの追跡が始まります。

粘り強いこれまでの調査活動で、被ばくマグロを廃棄した漁船の3分の1は高知の船だったこと、

若くして原因不明の死亡、健康の不安におびえながら暮らす元乗組員や遺族の実情などを明らかにしてきました。
 この重大な被ばくの真相が、近年公表された米機密公文書から裏付けされたのです。

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