右の愛車・ラパン。先日最後の車検に出した。
何だかとても寂しい。
なぜ?はもちろん年齢!
免許を2年後に返上しようと思っての決意。
とても長くの車生活だった。
私の車の歴史は、スバル360からラパンまで44年になる。
ほぼ、自分から起こした事故は無事故である。
一度だけ、何も知らない時期、向こうの勢いに押されて事故にされた事がある。
所謂、示談金と称して脅されて取られたのである。
そんなのがいまだったら、勝つ自身はあるのだが・・・。
免許の取得は、子どもが保育所に通っている時だった。
その頃はまだ女性が運転しているのは珍しかった。
保育所で、今でも付き合いをしている友人と二人、どちらかが、遅くなる時は、
車に乗せて家でご飯を食べさせてもらったりとか、いろいろお互いに助け合ったものだった。
免許を取るきっかけになった出来事があった。
自転車で前と後ろに子どもを乗せて坂を登って、送り迎えは大変だった。
ある日、大雨で、二人の内、友人が一人を自転車に乗せて帰ってくれたが、
自転車に乗れるような雨ではなくなり、私と下の子はバスを待った。
その方が家の近くまで、バスが行くからだ。
バスを待って傘をさしていても横殴りの雨で、二人とも濡れ鼠のようになっていた。
その時一台の車が止まってくれ、「家まで送りますよ。」と言ってくれた男性。
乗せて貰えたがシートがぬれるので、通路に座って送って貰ったのだ。
その時に、免許を取る決意をしたのだ。
その頃は劇団に行っていた。
暇な12月の一ヶ月間を休暇にして、ほぼ、その一ヶ月で、取得した。
人間は追い詰められるとなんだって出来るのもだと思った。
一日中教習場にいた。キャンセル待ちをし、その間に教科の方を受けるのだ。
教官たちの間でも、びっくりされたり、呆れられたり有名になっていた。
見事、合格!免許が来るまでには、先に中古の車を購入していた。
亀のような可愛い車?スバル360だ。しかし、これは大変だった。
きっと相性というのがあったのだろう。
冬に取得したのもあるが、エンジンがかかりにくくいろんな人に、
助けて貰い,後ろから押して貰う嵌めになり、余り長くは乗らなかった。
雪の降る京都の町を、運転が出来ない人を横に乗せ、道案内をして貰い、
一方通行を逆行すると言う恐ろしい事もあった。道を良く知っていても、
標識を知らない人で、こちらも余裕が無い状態だったのだ。
もし今もこの車が、健在で乗れるならかなりのレトロ感で、乗りたい車である。
「夕日の三丁目」当たりの後に出た乗用車ではなかったろうか?