沖縄・翁長知事の話・・「沖縄と本土」より

沖縄と本土

映画「戦場ぬ止め」の上映するにあたり翁長知事の話を読みました。
本土の私達には分からない部分がある事が実に明確になりました。
講演がもたれた後の本です。
以下・・講演の一部です。☆省略部分がありますが・・。
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朝日新聞主催 シンポ「いま、沖縄と本土を考える」基調講演
沖縄県知事 翁長雄志『沖縄のあるがままを見てもらいたい』
(2015.7.29.東京・浜離宮朝日ホール)

日本の安全保障は日本国民全体で
これは本土の方々にはなかなか理解してもらえないことなのですが、
一つは日本の安全保障は日本国民全体で考えてほしいということです。
沖縄で知事選などに出ますと、本土から来る方が「あなたは日米安保体制に反対なの?」と言うんですね。
「いや、賛成ですよ」と答えると、「なぜ、賛成なのにオスプレイの配備を認めないの?
基地を認めないのか」という話をするんですね。
そこで私が「それでは本土の人は日米安保体制に反対なんですか」と聞くと、「いや、賛成が多いよ」と。
「ではなぜ、米軍基地を本土に置かないんですか」と聞くと、少しはお互いの乖離が縮まってきます。
さてなぜだろう、と考えてくれるからです。
抑止力の話も、一県に押しとどめたら、他の国は日本の本気度がまったく分からないと思う。
ですから、日本の安全保障は日本国民全体で考えてもらいたい。
私たちがよく言う、本土の方々の無理解、無関心──沖縄で何が行われているかについては
ほとんど関心がない──ということがあります。
☆しかしながら、☆ありがたいことに、☆4月から5月、6月にかけての(一連の)対談を
いろいろな機会に見ていただいて☆、
中央のメディアの世論調査で、辺野古に基地を造ってはいけないというパーセンテージが、
辺野古に基地を造るべきだという値を、平均ですが、10ポイント程度、どの調査でも上回ってきたんですね。
これまで無理解、無関心だと思っていたのですが、いろいろな形で皆さんが考えるなどされて、
このように結論が変わってきたというのは心強い感じがしました。
民間ベースですが、新たな辺野古基金というものを提案したら、今、ちょうど4億円を超えたところかと思いますが、
(うち)本土の方から(の支援が)7割ぐらい、
☆沖縄と合わせて4億円です。
これは、辺野古に基地を造らせないという様々な活動の支えになっています。☆

菅官房長官との話①「普天間の原点」
私は昨年(2014年11月)、知事選に当選いたしましたが、
残念ながら、年末年始に首相官邸で官房長官や総理にお会いしようとしても拒否されました。
3月末まで何回かチャレンジしましたが、お会いできませんでした。
☆しかしながら、今年(2015年)の4月に入りまして、菅(義偉)官房長官、安倍(晋三)総理、
5月に入りまして中谷(元)防衛大臣に会って、それぞれ1時間ずつお話しができるようになりました。
菅官房長官は、沖縄の振興策の話だけをされておりました。
そして、基地の負担軽減を全力でやりますよ」と話されていました。
その中で、「普天間基地(移設問題)の原点は、世界一とも言える危険性を除去することだ」という話を、
菅さんは何回もされたわけです。
普天間基地の危険性を除去するためには、辺野古の美しい大浦湾――ジュゴンがいて、サンゴがいっぱいある、
沖縄県でも最上位に位置しているあの大浦湾を埋め立て、そこに普天間基地を移す。
「これが唯一の解決策だ」という話をされておりました。
私は、菅さんにはこのように申し上げました。
「普天間の原点はそうじゃございませんよ。
戦争が終って、普天間に住んでいる人たちが収容所に入れられている間に、
(土地を)強制的に接収されて、銃剣とブルドーザーによって、米軍の飛行場ができたんです」と。
それが60年経って世界一危険だから、そして、老朽化しているからという理由で、
それをおまえたちまた負担しろ、それが嫌ならば代替案を出せというのは、いくら何でも理不尽ではありませんか。
自ら奪っておいて、それが老朽化したから、また沖縄県で(新基地を)差し出せというのは、
これは日本の政治の堕落ではないでしょうか。
基地の問題は、ずっと今日まで何十年にもわたって問題点が指摘され、
日本国民全体で考えるべきものをおろそかにしてきた☆ことを、今日まで引きずっているのではないでしょうか。☆
そして、戦後の成り立ちという意味では、これも菅官房長官に話をしたんですが、
日本が戦争に負けて、そのときに沖縄はそのまま本土の皆さんとご一緒したわけではない。
1952年――戦争が終って7年目です――サンフランススコ講和条約によって沖縄は本土から切り離されました。
日本本土はその後、東京五輪を開催したり、高度経済成長したりしました。
戦後は一人たりとも戦死者を出さない「平和の国」日本を造り上げてきたと日本の政治では言われていますが、
では沖縄はどうだったのか。サンフランススコ講和条約で日本から切り離され、米軍の施政権下に入った。
日本人でもない、米国人でもない、日本国憲法の適用もない。
そして、国会議員を当然ながら一人も出したことがない。
☆当時の県議会は立法院といい、知事は主席と言いましたが、そういう人たちには形式的な権限しかありませんでした。
米軍がすべてを握っている中で、米軍犯罪を含めて、いろいろなことが起きてきたわけです。☆

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