白髪みだれの、ロックンローラー!

 気持ちの良い、夕焼けが綺麗な夕方、テレビはあの腹立たしく恥ずかしい国会中継のニュース。

その後に白髪みだれのみすぼらしいロックンローラーの姿を映し出していた。

いつまでこんな姿をパフォーマンスとしてして曝け出すのだろうか?とりあげるメディアもメディアだが。

その昔、「上岡竜太郎さん」が、テレビを観ていて、なにげなく、「芸能人は何時かテレビに映ったらあかん時が

来るな。おれは、いつになったら来るかな?そうなったら教えてくれるか?」と奥さんに聞いたらしい。

すると、奥さんが 「今でしょ!」と、あっさりと答えたと言う。

それで、決心して芸能界から退いたらしい。男らしいし、また、立派な奥さんだと思った。

あのロックじいさんは、女だと山姥と言うが、男はなんと言うのだろうか?

でも、山姥とは敬う意味があったようだが。 男のあれは酷い!

山姥はについては「山姥の微笑み」がある。

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大庭みな子の『山姥の微笑』という非常に感動的な短編についてちょっとお話ししますと、「山姥」の一番興味を引く点は、そのファンタスティックなタイトルにも関わらず、話そのものは強く心に訴えるリアリスティックなものです。いわゆる「山姥」は、他人の気持や考えがわかるという超自然的な力を生まれつき持っています。その能力のために、いつも人の犠牲になってしまいます。例えば、山姥が年をとって死にそうになった時、自分の子供の「私達の迷惑だからお母さんに早く死んで欲しい」という気持がわかって、子供の希望に従って自殺するという場面があります。
 『山姥の微笑』から二つの興味深い点を取り上げてみたいと思います。一つは、そのタイトルの反語的な皮肉です。この小説の主人公は、山姥どころかごく普通の人間なのですが、女性である以上、このような超人間的な力を持つのが当然だとされている点です。もう一つの興味深い点は、その主人公が抱くビジョン(幻覚)です。その幻覚は孤独に憧れているビジョンです。それは、実際に山姥となり、風が吹きすさぶ岩の上に裸で立っているという、かなり強烈な印象を与えるビジョンです。しかし、くさりの中の女である限り、そのビジョンが単なる幻覚にすぎないのだということが、読者にはすぐに分かるはずです。

ーーーーーーーーースーザン・J ・ネイピア テキサス大学助教授の講演より。

 この論でいけば、世間ではいっぱい山姥がいると言うことになる。私ももう、そうかも・・・。

芝居で10年以上も、イタコの婆もやっていたし、充分に山姥になっているかも・・・。

ーーーーーーこんなのもある。

山姥神社の細藪山は、県道269号線「重倉笠ノ川線」に乗り入れ、白木谷を走り、久礼野バス停がある十字路を右へと入ります。

この狭い車道を北へ行くと、ほぼ一本道で登山口まで行けます。

山姥神社の山姥(やまんば)は、あの妖怪の山姥ではありません。高知特有の山の神として崇められている「山姥さま」です。

細藪山の中には、この「山姥さま」の祠がいくつかあります。

  やはり 山姥は神さまと崇められているが、男のは調べても出てこない。

こうなると、あのロックじいさんに、山姥みたいにと言うのももったいないはなしになる。

 じいさんで、なんか面白い言い方見つけた方はコメント下さい。

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