今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

幼き頃・・・38・・お風呂と台風

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台風が来ると思い出す。 年齢は前後するが、あの大好きな高槻の家にいる頃、大きな台風が来た。

私は5歳ぐらいだったと思う。朝から珍しく、父がいて家族全員いる。この事がうれしくて何が起こるかなんて

考えもしなかった。父も何故か、ご機嫌でいろんな事をしながら、鼻歌などを歌って、はりきっている。

母もいそいそとしていて、浮き足だっていた。兄も普段は、何もしないのに勉強机など整理したりしている。

姉はマイペースで、ゴロって寝そべって本をよんでいた。そのうち母は、駅の方まで買い物に出た。

「私も連れって行って!」と、泣く私を振り切り、走って下の道を駆けて行った。

母はいつもそんなに頑張って動く人ではなかったので、その事だけでも不思議に思った。

何があるのか、全く私には分からない。そのうち父は、鼻歌を歌いながら昼前なのにお風呂を沸かしだした。

五右衛門風呂だから、炊き口が台所の土間にある。そこで火を熾している。本当に、はりきっているのだ。

私までうれしくなり、廊下を走り回り、なんだか笑いが止まらなかった。

かなりの時間が過ぎた頃、母がきゃーきゃー言いながら、八百屋のおじさんに自転車の荷台に乗せられ、

「凄い雨と風が吹いて来たから送って貰った!」と、びしょぬれになって、これも笑いながら帰ってきた。

送って来たおじさんは 「これからきつう来まっせ」と、いっさい笑わずに急いで帰って行った。

そのうち、母はご飯を炊きだし、おにぎりを作る準備を始めた。母も何か歌っていたように思う。

父は、お風呂を何度も見に行き、とにかく甲斐甲斐しく動いている。この二人がこんなにも仲良く、力を合わせ、

うれしそうに、息もぴったりでいたのはこの時が、最後だったかもしれない。

3年ぐらいあとに、別れるなんて、私達も当の両親も、想像する事なんてその時は及びもしなかった。

両親だけでなく家族みんなが、バラバラになるなんて、誰も想いもしなかった。

家族が力を合わせて何かをしていた最後だったのかも知れない。

父は、鼻歌を歌いながらとうとうお風呂に入りだした。

その頃には雨も風もかなり強くなり、山の木々の音が激しく、笑いは怖さに変っていった。

何か凄い音がし、父が裸でお風呂から飛び出して来て、「えらい事や!風呂の火を消せ!煙突が飛んだ!

火事になる~~~」と叫んで急いで火を消し、裸の上から何か被って表へ出て行った。

はあ~はあ~と言いながら、帰って来て「風呂の煙突が半分飛んだ!火は大丈夫や!」と。

そのうちに、又凄い音!ガラスの割れる音や、何かが飛んで来て当たる音!もう怖くて泣き叫んでいた。

ガラスの音は父が自慢の、私達の部屋<サンルーム>の 屋根が粉々に割れ、木切れやいろんな物が

飛んで来ていたのだ。そのうち、停電になり、ますます怖さは増し、どうする事も出来ずに茶の間で一塊になっていた。

兄は「こんな台風の時に風呂を沸かす馬鹿親父が、何処におんねん!人に言うたら笑われるわ!」と、怒っていた。

いつも怒っている兄だから別に誰も相手にしなかった。当の父はなんだかそれでも笑っていたように思う。

母もそんなに深刻な顔をしていなかった。この頃はまだ、そんなに追い詰められた生活ではなかったのかもしれない。

何日か後に大工さんが来て、サンルームはサンルームで、なくなり、木が張られた屋根に変った。

風呂の煙突は、半分から折れてすっ飛んで斜めの変な煙突になっていた。

修理に来たおじさんに「風呂沸かしてましてん ハハハ・・・ほんで入ってましてん、ほしたら、えらい音がして、

煙突飛んでましてん!ハハハ・・・裸で飛びだしましたわ!ハハハ・・」と、大声でうれしそうに話している父がいた。

聞いているおじさんは?変なあきれ顔をしていた。もう少しで大火事になるところだったのだ。

すっかり直されるまで、家族はお風呂に入る事が出来なかった。兄は、やっぱり怒っていた。「馬鹿、親父!」と。

しかし、何故?両親とも、大変な台風が来る前にあんなに盛り上がっていたのか?いまだになぞだ!

思い出の多いその台風の名、それは、かの有名な「ジェーン台風」。名前は素敵だ!。

歴史に残る台風だったと、のちに知る。家族がたった一度、力を合わせた台風!私の歴史にも残った。


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