私はあの<ジンタン中毒少女>時代から脱出し、少女から大人へと移行して行く
中途半端な年頃になっていた。
幼き頃からの不安は、いつも親との関わりであったが、それとは違う不安が
何なのかは、はっきりとせず、何時もまとわり付いていた。
この事は、中途半端な年齢の女性がもつ、特有な感覚で、誰もが一度は経験しているものと、
随分と後から知る。これは、男性には決して知ることが出来ない感覚だと思う。
<父と父の嫁と弟の赤ちゃん>は、私達兄妹を置いてどこかに出て行ったままだった。
家で誰とも話す事はなく、外では明るく振舞い、実はかなり暗い毎日を過ごしていた。
その頃、兄と姉は、何とか仕事をするようになり、姉はすっかり「OL」になった。
ここでも、さすがにしっかり者の姉は違う。
一人、試験や面接を受け、机やスチール棚などを扱う有名企業にさっさと就職していた。
とにかく細かいことは余り話さないで、わが道を突っ走っているのは、全く変らなかった。
家の中のごたごたは、相変わらずで、突然兄はずっと前に<家を出た母>と暮らし始めた。
小学校の2年生の時に<別れた母>との再会!兄はずっと居場所を知っていたのだ。
そして、時々会っていたとの事。これを知らされたショックは、言い尽くせなかった。
怒りでもなく悲しみでもなく寂しさでもなく「何も信じるものか!」が、私に生まれた瞬間。
母に対しても、懐かしいとか恋しかったとか会いたかったとか、全く何の感情もなかった。
余りにも幼い頃からのいろんな事が、私をそんな子に成長させてしまっていた。
そして母も、以前の母とは違っていたのだ。美しいのはそのままだが、違う人になっていた。
そして、姉と私のねぐらは、小阪のあの意地悪のおばあちゃんの所に行く事になる。
おばあちゃんは、もう、かなり年でいろんな事が困難になっていた。
考えて見ると私達がこのおばあちゃんの世話になった時77歳、おじいちゃん67歳、
それから10年弱で86歳、今から思うとそれでも、しっかりしていたのだと思う。
77歳で高い利休下駄を履き、綺麗好きだったから、あちこちを磨きとおしていた。
洗濯は洗濯板で冷たい水でごしごしと、はたきをかけ、箒で掃き、雑巾で畳を拭きと、
昔の人の動きは凄かったと自分が年を重ねて分かり出す。
それでも86歳だから、私達が住んでくれるとおば達が助かることもあるという理由だった。
以前と違うのは、おじいちゃんの自慢の裏の庭はなくなり、離れになっていた。
従妹が結婚し離れを建て住んだらしい。あのおじいちゃんの自慢の庭がないのが淋しかった。
姉とおばあちゃん、おじいちゃんとの生活がまた始まった。
私の暗さは少し和らいで行った。意地悪なおばあちゃんとおじいちゃんは弱っていた。
裏の庭はなくなっていたが、玄関のヤツデの葉がきらきらと光って綺麗だった。
少しの不安が、取り除かれる気がした。