”ぢらい”

ぢらい-3ぢらい爆弾

「ぢらい」 これは私が大きく影響を受けた 森田有さんの戯曲だ。

所属していた劇団は残念な事に去年解散してしまった。

この作品は日本劇作家協会(井上ひさし会長)の新人戯曲コンクールに応募し、

新人特別賞「北九州市長賞」を頂いた。しかし1994年10月の受賞式に森田さんは,

出席出来なかった。公演の練習途中に膵臓癌と分かり、夏の終わり、逝ってしまった。

享年56歳の若さだった。悔しい想いがいっぱい、あったと思う。

作品は面白いのが書けていて、芝居を観た人から声もかかり、次の大阪公演も決まっていた。

ビデオを観た時「皆、勘違いしているなあ。」と笑いながら言って、何処が勘違いかは言わなかった。

劇団員は、日常は仕事を持っていて、先生、電気や、居酒屋の女将、郵便局員と、さまざまで、

彼の本職はフリーの音響効果マンだった。NHKを中心にテレビ番組の制作に携わってきた。

私はこの劇団に来るまで、京都で旅公演中心に活動していた劇団に席をおいていたが、、

<劇団>と言うのはある時期、人数も増え考え方ややり方などで複雑化するときがある。

それは、元気な時代なんだが危険でもある。いっきに団員が退団するときがある。

私もその一人で、なにかしっくり来ずに退団を決めていた。

その頃、「働く者の演劇祭」があり、観に行った時に出合ったのが「日の丸」森田 有作だった。

衝撃的だった。昭和天皇らしき人の話を、ギャグにしていた。

<右翼かと思うぐらいに、日の丸、天皇を讃える男>、校長先生に、最後、赤紙が来るのだ。

こんな風に天皇を出している劇団も作品も観たことがなかった。ショックだった。

そして、何よりそこには私が求めていた大人のお笑いがあった。この笑いが私には重要だった。

入団を決めたが、団員は少なく、何かと周りの人たちに支えられ、次々と公演をして行った。

森田氏は私の体型を見てからか、皇后陛下らしき人物に仕立て上げたり、また、大阪弁での

おかあちゃんだったり、私は非常に楽しく芝居をさせてもらった。「ぢらい」では、演歌歌手で登場。

実際にカンボジアに、自衛隊を慰問するニュースを観て、この作品が生まれたのだ。時代錯誤だが

何とも変な映像だったらしい。「男命のカンボジア」実際にある歌でした。

「ぢらい」はカンボジアの地雷原のまっただ中での出来事をコミカルに描いているのだ。

< あらすじ 数え歌で、想像してもらおう>

一つ  日もよし日柄も良うて  地雷探しに行こかいな

二つ  ふと踏む減圧地雷 その足離せば地獄行き

三つ  水虫右足めざし そろりそろりとご入来

四つ  四×二のスズメバチ 除虫スプレも何のその

五つ  異国の夕立はスコール かわいい娘の人情傘

六つ  向こうからでしゃばり演歌 「男命のカンボジア」

七つ  何でもつけなきゃならぬ 大事姐御のオトシマエ

八つ  やっとで決着ついた けれどつかないものもある

九つ  ここらはニッポン国の ゴミの大地よ「夢の島」

十で  とうとう自社連合 与党野党もあるものか

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こうして 森田さんは その時の世相をきっちりと、とらえ笑いにして、観た人が

家路につく頃、ふっと あれは・・・?と 考えてくれる作品をと、こだわった人だった。

そして何よりも憲法9条をなんとして守らなければと熱い想いでいた。

今の日本を見たら、なんと、言われるだろう。何よりも地震を怖がってもいた。

子供さんも大きく成長された。

「地震が起きたらこの三人をどうしたら、守れるかと思うと寝られへん]

と言われていた。

そして私達には 「どうせ演るなら、オモロウせなあかん」が口癖だった。

< 森田さん!日本は今、地雷源のようです。

私達はもう踏みつけてしまっているようです。!

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