幼き頃・・35・・・知らないねえちゃんのビンタ!

小学3年生の頃になると、一人で銭湯に、行けるようになっていた。

おじいちゃんが行っていた銭湯は、町では古い方で、隣が酒屋で立ち飲み屋があった。

新しい銭湯の方は、おばあちゃんが通いつめた映画館、「南座」が隣にあり、斜め向いには

そろばん塾があり、友達が大勢通っていた。私も習いたかったが、それは無理な家だった。

私にとって一人で行く銭湯は自由なる時間、おばあちゃんの小言から開放される時だった。

映画館の看板や、写真を飽きることなく見て、想像を膨らませ、そろばん塾では窓が開いていると、

目の高さギリギリなのに、必死で背伸びをし、「ごわさんで、ねがいまして~は、56円な~り、

38円な~り、89円では。」「はい!はい!はい!」との、独特の声と、そろばんのはじく音を、

聞いたり、手の動きを見たりを、楽しんだ。それからやっと風呂屋に行くのだ。

こうして、いつも長い寄り道をやっていた。余り長い日は、おばあちゃんに、大目玉をくらったが。

もう一つ、何時も気がかりな人が銭湯にいた。名前も知らないねえちゃんだ。ねえちゃんと言うのは、周りの

大人たちが、そう呼んでいて、よく噂の的にしていたのだ。

「あのねえちゃんはこれから大変やで」「ほんになあ、どうすんねんやろなあ。」「もうすぐ、ややこが出て来るで」

「大変やで」「ほんになあ、えらいこっちゃで!」と噂をしていた。

<どうやらねえちゃんの、お腹には赤ちゃんがいるらしい。そう言えば、どんどんお腹が膨れてきてる。

いつ?どんな風に赤ちゃんは出てくるのやろ?このお風呂屋さんで、出て来るのか?>と。

もう私の想像は毎日そのねえちゃんを見ると、頭いっぱいになり、目を離す事が出来なかった。

大人たちが大変と言っていたのは、どうやら、障害を持っていたからで、どうして育てていくのかと、

言う事だったようだ。また、今なら分かるが誰の子供かと?いうのも、大人たちの一番の話だった。

そんな事は、その頃の私が分かる訳もなく、私はいつ?どんな風に?だけが、関心だったのだ。

<見たらあかん。目を離さなあかん!失礼や、あかんわ。目を離さないと!>と、思うのに、全く

目が離れてくれないのだ。ある日、脱衣所で服を着ていたら、ふと人の気配がし、上を向いた。

ピシャ! 何が起こったのか、何の音?と思った。分からなかった。私は強烈な痛みをほっぺたに

感じていた。  「いつも、いつも!人のこと見てからに!なんやねん!この子は!腹が立つ!」と。

強烈なビンタだった。親にも叩かれた事がなかったから、なんなのかが、分からずにいた。

他の大人たちも、驚いて見ていただろうが、そんなのも見れなかった。

痛くてひりひりしたが、涙は出なかった。「私が悪かったからや。この銭湯にはもうこれへん。」

しかし、半年ほどして、その銭湯に行った。・・・  あのねえちゃんの姿はなかった。

大人たちの噂では、何処かに行ったらしい。赤ちゃんはどうしたのだろう?と思うと、あの日の

痛みが、悲しくよぎった。<私が悪かったんや!>・・・。

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コメント

  1. ののさん カツベだよ  お久しゅう御座います
    元気そうでなにより この店が出来て 9年が過ぎました なんとか続けています
    ここは Mnタ に教えてもらいました
    あの時のトイレも年月が経ち ずいぶん味のあるトイレになってきました
    ののさんの言葉が いまでも 耳に残っています
    ”このトイレに負けないくらいの 店を作りや”
    はい いい加減なつくりですが なんとか かたちになったと思います
    ぜひ一度 確認に来てくださいよ
    ここはコメント欄なんで また 連絡します
    とりあえずは 簡単な報告まで です

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